2017.03.27

3/27(月)までに実施した計7回のワークショップの議事録を抜粋し、一覧にいたしました。

3回目〜7回目までの議事録は、随時公開いたします!

 

<データブックの感想等>

  • 最後の放射のグラフは、推移を見ることができて面白いものになっている。
  • こういう細かいデータを見ながら話し合いをすることで、具体的な話ができるようになった。
  • イメージではなく、客観的に見て地域をどう元気にしていくのか、自分だったら何ができるのかを考えることができる。
  • 人口推移からは、思ったより人が戻ってくる印象。周りの人の話だけではわからないことも知れる。
  • 浪江町の合計特殊出生率が高いことに驚いた。浜の人は子供をたくさん作る傾向にあったと改めてわかった。
  • 県外にいると情報が入ってこない。こういう集まれる機会があると、町についての情報を交換できる場所になる。
  • 違う世代と話すきっかけになったし、先輩の話を聞いてみて視点や意見が違う。同世代だけでなく、幅広い世代とデータを作った話をしたい。
  • いろいろと知らない話や知らないことが多いと感じた。これを機に改めて勉強していきたい。
  • 県外にいて情報が入らないからこそ、帰る帰るという気持ちだけで走っていた部分、現実を突きつけられた気持ちになった。こらから、もっと浪江の人口を増やすとか、盛り上げていきたいと思った。それを考えるきっかけとなった。
  • この資料を父親に見せて、一緒に考えたいと思った。
  • このワークショップを同世代に話すと、来たいと言ってくれる人が多かった。若い人は忙しいから集まれないけど、ふるさとについての想いがある。本来であれば、若い人たちでこのような動きができたらと考えているし、作っていきたいと思った。

 

 

<自分・家族の「これから」について>

  • 南相馬で土地の抽選を行っている。3世帯での抽選なので、もし外れたら浪江に戻る選択を取る。父親と祖父母の世代が戻る。
  • 父親は浪江に戻ると言っている。今の家を取り壊して立て直す。仕事は南相馬でまた改めて商店をたてて経営をする。
  • 浪江町の家を解体申請している。両親は富岡で働いているけども、この後どういう生活を取るか決まっていない。自分(20代)も土地を相続するとは思う。どう使うかわわからないし、町や国が欲しいといえば、売ると思う。
  • 震災後に実は山のなかとか、いろんなところに土地があることがわかった。いまは畑とかもフレコンパックの置き場になっているので、土地をどうしようかは考えられていない。
  • 墓が浪江町にある。移動させるって話もあったけど、先祖代々の土地なので相続することに決めている。祖父母も両親も、浪江のお墓に入りたいと言っている。
  • 家族は戻らないと言っている。また、戻っても知っている人が戻らないのであれば、私の知っている浪江町ではない。知っている人が戻れば、浪江町に戻るって考えにもつながると思う。

 

<町の「これから」について>

【商業施設】

  • 大型スーパーとかの経営は難しいので、コンビニが増えてくると思う。もともと、個人で小売業を営んでいた人がコンビニの経営者になったケースも多い。
  • 男の人にとっては飲み屋が必要。息抜きの場所、気持ちを落ち着かせる場所が欲しい。
  • まちないマルシェ(復興商店街)があるところは商業施設も戻ってきて、の地区は人が戻ってくるかもしれないけど、他の地区の人は遠すぎてかよない。住める地区の各所に商業施設がどれくらい戻ってくるのだろうか。
  • 地域に根ざした商店が割と各地にあったイメージだった。買い物も近場で済ませてたりしていた。
  • 自販機が欲しい。昔から。

 

【町のかたち】

  • 小さい規模で町が再開していくので、いろいろなインフラが1点にまとまったコンパクトシティになってくるのでは。
  • 鹿児島のやめだんという地域は、町中に健康器具がいたるところに置いてある。健康パークと言われていて、そこに生活している人は健康な人が多いと言われている。浪江町も健康のためにそういう施設を作ってもらいたい。
  • 星が綺麗な町だった。夜は家族で星を見ていた。自然も豊かで、海と山の幸のどちらも楽しめる町だった。でも、自然の良さだけだと、帰る決めてにはならない。
  • 町にフレコンパックがたくさん置かれている現状をどうにかしたい。
  • 再開しない小学校の再利用方法を考えたい。
  • 5年も人が住んでいない家は住めない。
  • インフラの整備。電車、スーパー、自転車屋さんが欲しい。
  • 自然と遊べる町だった。自然が友達。でも、その自然も遊べない。
  • 将来を考えると、子育て。子育てができる環境を整えて欲しい。
  • 居場所が欲しい。みんなのために活動や仕事をする環境の整備と、人がいる場所にぽんと入って受け入れてもらえる環境。
  • やっぱり人。人と会って話す環境を整備する必要がある。
  • 町内に学校は大切。結婚して、浪江に住みたいと思うから。
  • 同級生は多い方がいい。いろんな出会いもあって、子ども時代に人格が形成していくから。子供時代の絡みが大切。
  • 街灯を整備して欲しい。ただでさえ人が少ないし、獣も多くなってきているから、灯りがないと夜に出歩けない。
  • 震災後はストリートビューで町の様子をたまに見ることがある。震災前は一切なかったけど、町の現状を気になっている若い世代は少なからずいる。
  • 単純にすごく人が減っていると思うけども、1部の地域にまとまって生活をする。インフラもコンパクトになっていく。ポジティブに考えると、より町にコミットする生活ができると考えられる。
  • 子育てを考えると、最低限のものは欲しい。図書館とか。
  • これからの時代は、遠隔でも仕事ができる時代になってくるとおもう。なので、最低限の生活環境が整うことが必要。
  • 外での生活を選んだ自分が浪江町のために何かをやるってことは難しい。ただ、何かをやる機会を与えられれば、積極的に参加したいと考えることができる。
  • 東京にいる人間が町に関われることとすれば、部外者として客観的に今後の浪江町についてコメントすることができる点。今後、帰らなかったとしても、完全に浪江町から離れることはできない。実際に町に行ってみて、町について意見を話す機会が欲しい。住まなくても、町につねに関心はある。
  • 昔は「ぐるりんこ(連絡すると200円くらいで来てくれるバス?タクシー?)」があったので、それが戻って欲しい。
  • 役場周辺は、山の方に住んでいた人からするとはずれの方にあるように感じる。駅前の方が街中って感じがする。6号線を渡るのは大変。
  • 除染作業員の車などで、町の交通量が増えている。救急車が通るために、より交通安全にしないといけない。
  • 歩道橋は階段が多いから嫌だ。階段よりは、スロープのある地下歩道が星。弐萬閻堂の向かいに地下歩道は有るけど、中学生用に作られたものだから利用者は少ない。
  • 浪江は海のイメージも強いけど、山もたくさんある自然豊かな町。
  • 浪江町にとっての復興の定義として、請戸の魚やシャケがある。シャケの漁獲を見るために、観光バスとか臨時列車が出ていた。30〜40年前が一番盛んだった。浪江の人はシャケを食べなくなっていた。シャケをもらうから、2本目は捨てて、いくらだけ食べていた。
  • 浪江の魚は美味しかった。山菜もお米も。野菜なんか、買ったことがなかった。
  • 若い人は福島市での生活が楽だと言っている。でも、既製品ばかり。昔は、近所同士でおすそ分けとかをして生活をしていた。
  • 町民の消費額は福島市とほぼ同じでも、野菜や魚はもらって生活をしていた。実際は、もっとお金を使った生活をしていたと思う。たけのこもいっぱいとれた。竹藪がいっぱいあったから。
  • (食べ物の他に)浪江にとっての復興は、子供が戻れること。3世帯で住みたい。家族がみんな揃って生活ができること。こどもには、まだ帰ってこなくてもいいよって言ってします。工事もまだしているし、解体などで埃も多い。放射能も舞い上がっていると考えてしまう。
  • 見慣れた景色は清々しい。ひろびろとしていた町だった。
  • 福島市〜浪江町の交通機関があるといい。6年前はバスがあった。通行許可証の関係で、友達と乗り合いでお墓まいりにいけない。

 

 

【コミュニティ】

  • 人が少ない地域だからこそ、人とのつながり、共同が大切になってくる。
  • かつては「結」と言われて、地域での自治制度が強かった。支え合って生きてきていた。
  • 半分ネガティブでもあるけど、復興や震災の言葉のエンジンが切れてくる。20年後とかを考えると、他の地域でも震災がある可能性もあるし。逆に言うと、原発などの負のイメージもなくなってくるのかな。ダークツーリズムとかでくる地域になるのかと。
  • 老人が元気になる町だと、そういう地域に住んでみたいって思うキャリアウーマンが東京とかにはいる。30〜40代の女性で、独り身の人とかだと自分の将来や老後を考え、東京での疲弊した生活から逃れるような生き方をしたい人がいる。そう人が来やすいまちづくりがしたい。
  • 人間関係が密にならないと子育てもできない。一人では子育てもできないし、周りの人と繋がらないと。
  • 飯館村の話だけど、川俣にある床屋が飯館の人たちが集まるコミュニティになっている。浪江にも集まれる場所が必要。
  • 6号線より上の方は、どのくらいの人が戻ってくるのか。そもそも、自分の元の地区にどれくらいの人が戻るのかを知りたい。町全体ではなく、隣近所のレベルで。他の地区のことはあまり知らない。「部落」の意識が強いし、これまでは自分の部落内で生活が完結していたから。
  • 地区での共同が盛んで、一緒に農業をやったり、各地で祭りをやったりしていた。実際に戻っても、隣近所がいなければ寂しいし、ずっとテレビを見る生活になる。
  • 浪江町はイベントが盛んだった。野馬追は毎年応援していたし、十日市は特に毎年の楽しみだった。このために頑張ってきたし、浪江町の伝統だったと思う。
  • やっぱり集まれる場所。浪江町コミュニティセンターがあるけど、家からも遠いし、通えるか不安。昔は近所の寄り合いとかで集まりがあったが、それも無くなるだろうし寂しい。
  • 祭りを通して住民同士のコミュニティが作られていた。1年間祭りやイベントが定期的にあると、地域での交流のきっかけになる。
  • 近所同士でのつながりが強かった町のイメージがある。昔から知っている人とは仲良くできるけど、知らない人との協力はできないのかな。
  • 都市部からの移住者のことを考えると、町のつながりが強すぎでコミュニティに入れないという印象を持つ。一人でのんびり過ごせることが逆に田舎の魅力なのかな。
  • 地域とのつながりが強すぎたと母が言っていた。冠婚葬祭とか隣組でやらなければならなかったし。今の生活の方が楽だと話している。
  • 浪江の良さは人情にあった。近所の人が常に気にかけてくれた。

 

【町への帰還について】

  • 帰還意向が地域によって全然違う。
  • 戻ってくる人は、浪江町に思いのある人が多い。また、国に頼り切っても今後だめになる。
  • 壊す家は張り紙が貼っているのだけども、結構多くの家が貼られていた。戻ってきたくても家がない。
  • 若い人が戻らない理由としては、原発が爆発したことが一番。県外の人を入れるのであれば、現状として何がどうなっているのか知りたいし、知らない人が多い。だからこそ、正確な情報発信が必要。
  • 太平洋側ならどこでもいいと考えていたけど、やっぱり浪江がいい。浪江で漁業をする生活が当たり前だった。当たり前がなくなることがすごく嫌。誰も戻らないのであれば、私から戻るっていう気持ち。
  • いまのトレンドが移住だったりする。プレ移住をやって住むことを考えるひともいる。すぐ住むのではなく、行き来をするなかで居住を考える機会があるといい。実際に解除になってからみえてくるものもあるので、時間をかけて考えたい。帰還の判断をひたすら迫られていることが多く、ポジティブなイメージをあたえられるチャンスがなかった。悩んでいる人たちが集まれる機会があるといい。
  • 若い世代は、各所で仕事を持っているから、戻るって選択肢はすぐには選べない。でも、先祖代々のお墓があったりすると、浪江町に訪れるきっかけになる。その機会で今後の関わり方について考えることはできる。
  • いまはホテル浪江しかないけど、行って泊まって、みんなでおしゃべりするところが欲しい。自分の家に泊まったら、まっくらで寂しかった。旦那が死んだら一人では生きていけない。みんなで夜だけ泊まれるばしょがあるといいのかも。

 

<高齢者の生活について>

  • 老人が自分たちで身の回りのことをしなければならないので、元気になってくると思う。そして、いたるところに5、6人でのサロンができてくる。実際、昭和村は1,500人くらいの小さな村だけど、50位のサロンがある。
  • 老人と若者の関係が密にならざるをえなくなる。その上で、介護保健制度が維持できなくなり、若者が老人を支えなければならない状態になる。実際に、昭和村から介護ができる人材の派遣を求める声がある。
  • 若者が高齢者向けのサービスとして、事業を展開していく例が増えてくるかもしれない。
  • 公的なものがやるサービスかもしれないけど、私のいま住んでいる地域では大きな運動公園があって、そこに来ている高齢者はお医者さんに言われて、プールでのウォーキングをずっとやっている。
  • 健康の町、浪江。
  • 老人ホームはどれくらいできるか。子供世代とも別々に住むため、浪江に戻るとしても老人ホームに入る必要がある。順番待ちをするのであれば、浪江に戻っても4。5年で他のところへ移動しなければならない。
  • サポートセンターのように、みんなが集まれる施設が必要。一人では寂しくて生きていけない。
  • 町そのものが成り立つためには、高齢者も町の担い手となる必要が出てくる。
  • 認知症になった旦那は、浪江に帰ると元に戻る。男性は帰りたがるけど、女性は便利で賑やかなところがいい。私の代だけでも土地は守りたいな。あとは息子の判断に任せる。税金もかかるし。
  • 家を東電に乗っ取られた気持ち。もうもどらないと決めたけど、浪江に戻ると涙が出てくる。月日が経つと、だんだん気持ちは離れていくけど、心は浪江にある。家の手入れもしているし。娘に土地は売って欲しいといわれるけども。

 

<町での仕事について>

  • 個人商店の担い手がおらず、どんどん潰れていく。
  • 浪江町はかつて、飲み屋が多かった。それこそ、東電関連の人が利用していた。
  • 浪江町は山も町も海もあり、日本の生活や産業の縮図だったんだな。誘致企業、農業、漁業など多様な生活が選べる地域であった。
  • 多様な仕事があるからこそ、「浪江と言ってはこれ!」といったものがなかった。
  • 高齢者向けのパソコン教室や見守りサービス、旅行とか。まずは高齢者向けの仕事が生まれてくるのでは。
  • 飲食店とパーマ屋さんが多かった。そこが私たちの溜まり場にもなっていた。
  • 勤め人は東電が多かった。工場で勤めているイメージは少ない。また、飲食業も盛んだったが、東電の工事で出入りする人が使っていることが多かった。
  • 廃棄物処理業とか、女性が働きたがらない仕事が多い。女性が気持ち良く働く環境が欲しい。例えば、カフェみたいな場所。
  • 大堀相馬焼が浪江の産業看板だった。他には、水がきれいだから酒屋、とうふ。
  • 東電や事業所との兼業農家が多かった。
  • 美容室は48件もあった!髪の毛を切る人が集まっていた。生活にゆとりがあったから。
  • サンプラザの品揃えがすごかった。大手のスーパーに比べても見劣りしなかった。サンプラザの現社長はすごかった!

 

<町の農業・漁業について>

  • 浪江は土がよかったので、美味しい野菜が作れた。除染によって土を変えてしまったのでは、どうなるかわからない。土地が戻ってきても、土が戻ってこなければ野菜は作れない。
  • 田んぼ、畑を震災前は貸していた。借りてがいないと貸せないし、自分たちでは農作業をすることができない。
  • 家族で協力して農業をやっていた。子供世代(50〜60代)が勤め人をしながら、家庭の農業を引き継いでいた。
  • 兼業で農家をやっていた家庭が多かった。特に山の方は自給自足に近い生活だった。
  • 町で漁業をやっていく予定なので、漁港そばに燃料を補給できるガソリンスタンドが欲しい。請戸には小さい船用のスタンドがあった。
  • 町に戻って漁業をしたいと考えていて、父が船を作っている。来年にも戻って、試験操業をやるつもり。父母は飯坂に家を建てているので、私が浪江に戻ってそれを引き継ぐ。
  • 浪江の田んぼは大きい。区画整理をしていたから。一軒の作付け面積が大きかった。蛍も浪江にはいた。紅葉、桜、イナゴも浪江の良さだった。
  • 浪江では贅沢していたんだなって気づいた。何を食べても美味しい。果物は福島市からもらっていた。

 

<町でのサービスについて>

  • 高齢者が多く戻ってくるので、介護サービスが必要になってくる。でも、それを補うだけの人材がないと厳しい。
  • 電車の本数はどうなるか。また、その他交通インフラはどうなるのか。他の過疎が進む地域ではバスの本数が減るなどの現象が起こっているが、利用のニーズはある。
  • 土地や空き家が増えてくるので、ITとかの企業の誘致。あとは、芸術家やアーティストの作業場などの誘致。疲弊した町を盛り上げるのは、芸術。芸術家のアトリエがある町にしたい。
  • 家の中のことはどれくらい保証されるのか。震災前に建てたばかりの家でも、家電などがほぼダメになっている。その保証はどうなのか。
  • バスやジャンボタクシーが欲しい。高齢者ばかりが戻るので、買い物や病院までの移動手段として。もう自転車や車は運転できない。買い物に行けないと餓死してしまう。
  • データには商業施設とか病院の数は書いてあるけども、そこまでどうやっていけばいいのか、移動手段がない。
  • 震災前は「ぐるりんタクシー」という町営タクシーがあった。高齢者用にもそれが欲しい。

 

<地域性について>

  • やっぱり祭りが地域の柱であった。いろんな人の話を聞くと、いきいきと祭りに参加している様子を聞くことが多い。
  • ふるさとに帰りたいともちろん思うけど、いまの浪江には思い出しかない。生活環境は福島の方がいいし、家族も近い。自分だけが戻るとしても、思い出と一緒に生活するだけだし、家族にも迷惑がかかるように考えている。
  • 帰れる地域と言われても、家の隅や庭先など放射脳が局地的にたまっている場所があり、心配で帰れない。とくに孫には遊びに来てもらいたいと思うが、言えない。